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山元 春挙画伯が残した遺言

山元 春挙(やまもと しゅんきょ、明治4年11月24日(1872年1月4日) – 昭和8年(1933年)7月12日)は、明治から昭和初期にかけて活動した円山四条派の日本画家。本名は金右衛門。幼名は寛之助。別号に円融斎、一徹居士。竹内栖鳳と共に、近代京都画壇を代表する画家である。

滋賀県大津市、膳所(ぜぜ)という小さな城下町の琵琶湖のほとりにおもむきのある数寄屋づくりのお屋敷がビル
に挟まれひっそりと佇んでいます。
「蘆花浅水荘」と名付けられたこの建物は明治中期から昭和初期にかけて名を馳せた京都画壇の重鎮、帝室技芸
員山元春挙画伯の別邸であり、画伯自らが設計、監修した見事な近代建築(国指定重要文化財)です。
私達は郷土の巨匠が残したこの貴重な文化遺産を守り続けるには本建物の積極的な活用且つ運営が必要と
考えます。
 画伯は晩年(昭和6年)膳所町制施行三十年記念史に本別邸を「美術工芸家その他の人々の集会場に開放
し云々」と日本文化発展に寄与する旨の文言を残しています。
(膳所記念史参照)
 この言葉を画伯の遺言ととらえ、蘆花浅水荘を日本文化の発信
基地と位置付けるとともに私達が現在抱えている日本文化衰退の
危機を抑制し、次世代に向けた活路を見い出していく所存です。
本計画には画伯の孫にあたる山元寛昭氏の積極的な賛同を頂くと
ともに地域住民、市民団体、大学研究機関、行政等の協力に
よる協働作業で進めてまいります。
先人の遺産である史跡は残そうという意志があって初めて次の時代
に伝えることが出来ます。
 ここ蘆花浅水荘には私達が暮らす日本という国の昔と今が同じ
時間を過しています。
     ー 蘆花浅水荘活性化推進委員会 ー

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