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膳所という町は通好みの土地であると或る人は言う。
かつて、城下町として賑わった琵琶湖畔のこの町は
京都にほど近い場所に位置しており、賑やかな都の影
にともすればすっぽりと隠れてしまいその価値を表立って
語る人は少ない。

だが電車や車であっさりと通り過ぎてしまえば知ることの
できない貴重な文化遺産が、この町には今も日常に紛れて
息づいている。

古き良き時代を偲ばせる煉瓦づくりの堀の残る街並み。
芭蕉の残した歌の数々。城跡が語る声なき歴史のエピソード。
そうしたもの全てを悠然と包み込み、遥か昔よりこの地で人々の
営みを見つめてきた母なる湖に面して、蘆花浅水荘は大正初期に
山元春挙画伯によって建てられた。

山元春挙は明治から昭和初期にかけての時代を生き、竹内 栖鳳と
並び京都画壇を代表する偉大な日本画家として国内外にその名を
広く知らしめた人物である。
帝室技芸員であった山元春挙の別邸蘆花浅水荘には時の駐日フランス大使
ポール・クローデルも訪れており、その後にフランス政府から名誉ある
レジョンドヌール勲章を授与されている。

蘆花浅水荘は記恩寺という単立寺院となり平成6年に国の重要文化財に指定
され、現在もその姿を保っているが、そうした歴史的な偉人の功績が残る
場所にもかかわらず、その存在は現代においてはどちらかと言えばひっそりと
「知る人ぞ知る」隠れた名所となっている。

時と共に移り変わる風景の中で、それでも当時そのままに凛とした佇まいを
見せるこの邸宅を訪れれば、大正文化の豊かさに自ずと触れられ思わず
感嘆の声が漏れる。
画伯のアトリエや、洋間、茶室、竹の間…どこを歩き、どこを見ても
筆舌に尽くし難く、一つ一つの部屋に込められた趣向の数々と調度品の調和、
ひいては窓の外の庭木や対岸の近江富士までも視野に入れた構造は
芸術的と言う他なく、数寄屋建築の粋とはまさにこの場のことであると思える。

これほどの邸宅を、だが山元春挙はただ己と画業のためのみに建てたわけでは
決してない。昭和6年の談話(膳所町制施行三十年記念史)の中で「美術工芸
その他の人々の集会場に開放し十分利用して貰いたいと希望している。」と
語っており、志ある人々の助けになろうとしている様子が記されている。
今より5年後の2021年、東京オリンピックの翌年に蘆花浅水荘はその完成から
100周年の記念すべき日を迎える。
この国の文化を次の世代に引き継いでいくために、今この場所は見学に訪れるための
名所にとどまらず、その本来の役割を取り戻していく時なのかも知れない。

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